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良くも悪くも注目を集めている幸福の科学について、わかりやすく解説するブログです。

ハーバードで教えている幸福学は底が浅い?大川隆法の『幸福学概論』を読む。

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みなさんこんにちは。

今日は、大川総裁の『幸福学概論 An overview of Happines theory』を紹介します。

世界的に研究されている「幸福学」 

人間として生まれたのであれば、やはり幸福になりたいもの。

この人間にとって根本的なテーマである「幸福」を学問的に研究してみようというのが「幸福学」です。

「幸福学」はここ数年よく大学などのアカデミックな世界で人気のテーマになってきた印象がありますね。

ハーバードビジネスレビューなんかでも本が出版されましたし、ちょっと前の「ポジティブ心理学」なんかも幸福学の一つと言えると思います。

 
最近だと、早稲田大学ビジネススクールの教授の杉浦正和教授が『幸運学』という本を出版されていて、自分も読みましたが、これも幸福学の一部として捉えられますね。
ビジネススクールの教授が「幸福」や「運」を研究しているって、なんか時代の潮流を感じますよね。

 
 
さて、しかし、「幸福」と聞くと連想してしまうのが「幸福の科学」なわけですが(笑)、今日は大川総裁の『幸福学概論』という本にちょっと触れてみたいと思います。

 
 
2014年の8月に説法されている内容がそのまま本になったものですね。それではいってみましょう。

ハーバードの幸福学は底が浅い?

冒頭、大川総裁は、ハーバードなどで近年研究されている幸福学について、自分の説いている幸福論と似ている部分があると言いつつも、

ハーバードでのこういう学問的な試みは、”幸福学の総本山”とでもいうべき宗教から見れば、非常に底の浅いものです。

と早々からブッたぎっています(笑)

あくまでも、ハーバードなどで教えている幸福学は、「学生向けのガイダンスレベルの幸福論であり、「心理学の一部の領域にとどまっていると指摘しています。

そして、宗教から見た幸福論の基本として、まず「貧・病・争の解決」というのを挙げるわけです。

「貧」・・・貧しさ

「病」・・・病気

「争」・・・(人と人との)争いごと、戦争

たとえば、キリスト教では、イェス自身が、言葉や按手(手かざし)によって病の人を癒すという奇跡を起こしたことが『新約聖書』の中に記述されてます。

また、争いの解決という点では、「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」「下着を取ろうとするものには、上着をも与えよ」という、(半沢直樹もびっくりの)”自己犠牲”の態度によって乗り越えることが教えられてるわけですね。

アリストテレスの幸福論

そして、大川総裁は、幸福学の起源として古代のギリシアの哲学者であるアリストテレス(写真)を取り上げます。

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はっきり遺っているもののなかで幸福を正面から捉えたのは、ギリシアの哲学者のアリストテレスでしょう。(中略)アリストテレス自身が、哲学の目的について、「哲学というのは幸福の探求なのだ。どうすれば人間が幸福になるかを探求する学問が哲学なのだ」ということを述べています。つまり、哲学は、そもそも「幸福学」であったわけです。

ここは、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』の中に触れらていたと思います。アリストテレスは、人間の活動の目的は「エウダイモニア(ギリシア語で「幸福」の意)」であるとしてます。

まぁこの頃の哲学というのは、現代でいう「哲学」とは違って、もう諸学問を意味していたわけですよね。今は学問が専門分化していますが、当時は自然学、政治学、経済学、天文学...人間生活に関わるすべての学問がすべて「哲学」です。

彼の学問体系のなかには、「霊魂論」というものもはっきりと入っていますので、思想としては「霊魂」や「あの世」の存在を明確に認めています。しかし、後世の哲学史のなかでは、それを実体験できない人があまりにも多かったために、学問の対象として外していったのではないかと思われます。

 こう指摘したあと、総裁はデカルト、カント、、ロック、モンテスキュー、ルソーあたりに触れていくのですが、カントが学問の対象から霊的・神秘的なものを外したことを暗にディスったりしています。

つまり、現代教えられている幸福学の中には、「人間は本来霊的な存在である」という人間観がすっぽりと抜け落ちてしまっていることを指摘しているわけですね。

宗教と科学の相克

この本の元になった総裁の説法が行われたのは、幸福の科学大学の申請中のことです。

なので、総裁は、「霊言などのスピリチュアルなことについて教えるのは、科学的・学問的ではない」という一部の批判に対して反論を行っています。

ここが個人的に一番面白いなと思ったところです。

「例えば、メッカ郊外にあるヒラーの洞窟のなかで、ムハンマドがガブリエルを通してアッラーの啓示を受けたことを、再現することはできません。「ヒラーの洞窟のなかに四十日間こもっていれば、誰であってもアッラーの啓示が受けられる」というのであれば、それは現代にいう科学実験とまったく同じでしょう。

 ヒラーの洞窟で誰もが神の啓示を受けられないからといって、宗教としてのイスラム教が学問の対象にならないわけではありませんよね。まぁ社会科学ってそういう非合理的に見えるも含めて人間社会を研究する学問ですからね。

マックス・ウェーバーが見落とした「日本の資本主義」

社会学の祖とも言われるマックス・ウェーバーと言えば、プロテスタンティズムと資本主義の精神』。

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マックス・ウェーバー(1864-1920)

この中で、ウェーバーは、西欧における資本主義の発生をプロテスタントの信仰と紐づけたわけですが、大川総裁は「日本人の目から見たら、それ(ウェーバーの研究)が十分ではないことが、すぐにわかります」ということで、江戸時代に石門心学を説いた石田梅岩や、様々な藩の財政を立て直した二宮尊徳、明治に数百社もの企業を起こした渋沢栄一などの例をあげて、ウェーバーの見落としを指摘したりしています。

ここらへんになると、幸福学の話というよりは、社会学の話になってきていますが。ここもなかなか面白い部分です。

その他の個人的な面白ポイント

ということで、大川総裁の『幸福学概論』の内容をざっくりと紹介してきました。

ぶっちゃけ、上の内容以外にも面白いテーマがたくさん含まれている本なのですが、全部取り上げるのはキツイので、何かの機会で読んでみてください。

以下、個人的な面白テーマ・ポイントです。

日本国憲法の精神から見た宗教系大学の設立の意味

・日本仏教の中でも、最も戦闘的で排他的とも言われる日蓮宗。しかし、日蓮自身は、法華経至上主義を唱えながらも、天照大神を中心とした日本神道に対して非常な尊崇の念を持っていた。(直筆で書かれた掛け軸の曼陀羅の中心が天照大神

・「哲学者ヤスパースの語った「枢軸の時代」には、日本も含まれるべきである」と語った岡潔(数学博士)は正しい。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました!